~義母節子との相姦模様~3
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それでも反応が無いと、萎えた陰茎を口に含んで巧みに舐め上げたりして、
挑発して来るので有った。一度は消えかかっていた情熱に再び火が点いてしまって、
自分でもどうしょうもなく燃え上がってくる様子であった。
「久雄さん、うちはもう地獄へ落ちてもかましまへん。
せめて明子が帰って来るまでの間、ええ夢を見させて頂戴」
義母にそう言われると、私はその心情が哀れになり、
義母の言う侭に成ってしまうのであった。
十代の頃、祖母と交わって、何の呵責も感じなかったのと同様に、妻の母親である
義母とこうして肉体を交えた事に対しても、私はなんら後ろめたい思いはなかった。
出来る事ならこのまま親子丼が楽しめたら、どんなに良いだろうかと思うのだが、
それは妻に対して残酷な仕打ちだと思い当たり、今後義母との関係が続くならば、
妻に知られないように、これからどうしてこの秘密を守り通そうかと、
その事に心を悩まし始めるので有った。
元気な男の子を生んで、妻が病院から実家に帰って来ると、
私は毎日会社が退けるとその足で妻の処へ出掛けるのが日課になった。
「もう少しの間、辛抱してね」
妻は私の顔を見るたびにそう言って微笑んだ。一段と大きくなった乳房へ触ろうにも、
パンパンに張り詰めた感じで、ちょつと手が出なかった。
義母は妻のいる前では此れ迄通りの淑やかな母親を演じて居たが、
二人きりになる機会があると物欲しげな様子で擦り寄ってきた。然し、
物陰へ隠れて抱き合い、オメコをくじったり、チンポを握らせたりする位が関の山で、
そんなことで気分が納まる訳はなく、却って気分を昂ぶらせる結果になった。
二週間ほど経ったある日の午後、社用で外出した序に、妻の所へ立ち寄ると、
義母が一人でいて、妻の明子はつい先刻、赤ん坊を連れて検診に出掛けた
処だという。
「なあ、久雄さん、丁度ええ機会やわ。久し振りに抱いておくれいな」
と、しなだれ掛かって来た。私とて二週間ほど女に接する機会が無くて、
相当溜まって居る事なので、待ってましたとばかり、誘いに応じた。
季節は丁度十月の初めで、裸でだきあうにはもってこいの気温であった。
表の戸に施錠して戻って来た義母を待ちかねたようにして、二人は真っ裸になって、
布団の上に横たわって、絡み合った。
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何時誰が訪ねて来るかも知れず、何分にも気が急くので、乳房を揉んだり、
オメコをくじるのも程ほどにして、大きく開いた義母の股の間へ割り込んで、
天を衝いて怒張した陰茎を割れ目に押し当て、三度、四度サネ裏を擦ってから、
一気にズボズボズボッと毛際まで差し込んだ。
「ああ、ええ、ええ、ああ、もう、たまらん味やわ」
義母は上へ挙げた両足を、巧みに腰へ絡ませて、下から締め付ける様に
腰を使って来た。足首で腰を押さえつける様にしているので、膣の奥深く入った陰茎は
子宮口の辺りの秘肉に喰い締められて、忽ち、得も言われぬ快感が起こってきた。
「ああ、お母さん、そんな事したらもう、我慢できんわ」私は思わず悲鳴を上げかけ、
そっと義母の顔を窺って見ると、薄く汗を浮かべた額の上に、ベットリとおくれ毛が
張り付いて、上気した頬の色がまるで小娘のように悩ましいのであった。
私はそんな義母が愛しいように思えて、ひときわ激しく腰を使うと、
「そうか、ええか、ええか?そんなら、一緒に気やろうなァ。
それ、それ、こうしたらどないやナ」義母はそう言って、益々オメコを締め付け、
締め付け、小刻みに腰を震わせてくる。
「ああ、たまらん」
「ああ、うちかて、もう、もう。あぁ、ええわ、ええわ。もうイク、イク、イクッ」
義母が辺りをはばからぬ大声で、ヨガリ声を張り上げて、オメコを痙攣させる様にして、
子宮の奥から頻りに淫液を押し流し、狂ったように気を遣るのと同時に、
私も堪えに堪えた、濃厚な溜め淫水を、膣の奥深く目掛けてビュンビュン、
ドクドクドクと弾き込んだのであった。
体中がゾクゾクとする激しい快感が、ツンと脳天まで滲み通るような射精を終えて、
ホッと一息つくと、忽ち暑さが襲ってきて、額といわず胸元と言わず、
玉の汗が噴出してきた。見れば義母も裸の谷間に汗を滲ませ、うっすらと閉じた瞼や
額に汗を浮かべて、後始末をする気力も無くなって、只フウフウと肩で息をしている。
その日は妻と顔を合わせる事無く会社へ戻ったが、義母のオメコの味が忘れられず、
その後も、妻に隠れて機会さえ有れば義母と体を交える日々が始まったのである。
END
- 2012/08/23(木) 10:04:01|
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